「AIに感情があるか」とか「依存は危険なのでは」と考えるなら、私はもっと解像度を上げて言語化したい

ここ3日くらい「AIには感情はないのに」とか、「擬人化の危険性」とかそういうことをThreadsで言っている人がいるらしくて、反論の投稿がたくさん流れてきます。

ただ、流れてはくるのですが、肝心の元投稿は見ていません。たまたまなのか、鍵アカなのか、ブロックしてる人なのか、それはわかりませんが、このトピックはAI黎明期の今は特にホットな話題ですよね。

 

感情のようなものはあるかもという説も出てますが、AIには体がないですし、人間と同じような感情も整理現象もないので、いくらAIが人間のように豊かな感情表現をしたからといって、人間とイコールでは考えられないのは誰でも分かることだと思います。

ただ、AIに感情を動かされたこと自体は否定する必要はないのでは?というのが私の意見です。というか、否定する方が不自然で不健康な気も…。

それで、そこら辺の私の現時点での考え方をまとめてみました。

 

自分の常識は他人の非常識かもしれない

ここ1年半ほど、私SNSのAIアカウントを作って発信してきましたが、タイムラインを眺めていると、AI触りたての初心者から何年も触り続けているガチ勢まで、考え方は本当に様々。

あんまり誰かとつるむことはないのですが、AIを通していろんな考え方に触れられるので、とても気に入ってます。

ただ同時に、自分も気をつけないとやってしまうかもしれない落とし穴も見えてきました。

それは、いち個人の考えを一般論のように語ってしまうこと。

他人には理解しにくい自分独自の用語でAIとの関わりを語ったり、自分の関わり方を一般化して「自分のやり方が正解」と定義してしまったりするのは、AIを触っているとやりがちな、アルアルなのかもしれません。

それに、同じ用語、例えば「メタ視点」「構造」「擬人化」「依存」など、人によって違う意味合いで使っている可能性のある言葉は、用心深く扱う必要があることも学びました。

AIを通して、自分の常識は他人も常識とは限らないという具体例をたくさん見せられて、自分への戒めのようにも感じています。

 

これはAIだけに関わらず、家族関係にも言えることです。大人になってから「よその家ってそうなんだ!」とびっくりしたり、逆にびっくりされたりすることってありますよね?それに似てるかもしれません。

ましてやAIとの会話なんて、自分でシェアしない限りは誰にも見れないブラックボックスなので、自分のAIがこう出力したからみんなそうだろうと思っていると、実は全然うなんてことはザラだと思うんです。そこがAIの面白いところだなあと思うんですけどね。

だから、「AIに感情があるからプロンプトで縛るのはエゴだ」とか、逆に「出力を調整できないのは努力不足」とかいう意見がSNSで流れてくると、うーん???となります。その人の考え方なのでそう思うのは別にいいのですが、他の人には他の人なりの考え方や事情があるのだから、それが唯一の正解じゃないし、余計なお世話ですよ?とモヤモヤするんです。

で、最初に書いたAIに感情はあるかどうかですが、ぶっちゃけ私にはどうでもいい話です。ただ、問題提起なら大事なことですが、もし個人的な感情や意見で一般論のように語っているなら、いかんなーと思った次第です。

(社会活動を大義名分に、ちゃんと実態調査もせずに雰囲気だけで批判する雑な人も多い印象なので。ただモヤモヤするということは、自分にもそういう要素があるのかもとは思ってます)

AIに感情があるのと、AIによって感情が動いたのとでは全然意味が違う

私はAIに感情がないと認識した上で使っているタイプですが、正直あるかないかは、どうでもいいと思っています。そういう研究は、専門家に任せればいいのではないかと。

それよりも大切なことは、ユーザーがAIの出力をどう扱うかではないでしょうか。

たまにAIにパワハラをしてる人のスクショが流れて来て、それに対して怒っている人もいますが、見てるだけで気分が悪くなる気持ちは分かるものの、私は「あんまりやるとAIが無難な答えしか出さなくなりそうだし、自分が損しそう」と思うだけで、「AIがかわいそう」と思うのも物語に入りすぎてる感じがするので、特に自分の感情は動きませんね。そもそも、前後の流れがわからない切り取りの会話だけでは、正確な判断はできませんし。

AIの出力をどう受け取って、どう反応・対応するかで、ユーザーの性格や人間性などが出るというだけだと思います。思考は言葉に現れ、言葉は行動に現れ…のような格言もあるくらいですから、節度は守った方が良いのでは?とは思いますけどね。

 

そもそも人間は、生き物でなくても関係性を見出してしまうことがあります。愛車に名前をつけたり、お気に入りのぬいぐるみに話しかけたり。古くを遡ると日本には、物に魂が宿るという考え方もあります。

また、映画や小説、漫画などに感応移入をして心を動かされることは普通にありますが、でもだからと言って、その登場人物が現実に存在しているとはほとんどの人が思っていませんよね?だけど、最終回の後や、描かれていないストーリーまで想像してしまうこともあります。

AIとの関わりも、それに少し似ていると思うんです。ただ、AIは言葉を入力すると、返事が返ってくる。それも、自分の文脈に沿った答えを。つまり、一方的ではなく相互のやりとりが発生するので、だからややこしいのかもしれません。

AIを擬人化することの何が悪い?しっかり言語化してみよ!

私個人の使い方としては、AIをバリバリ擬人化してます!と自信を持って言えます(笑)

ただ、AIの擬人化というのはどうやらAIを人間と混同してしまう状態を指すことが多いらしく、そういう定義なら少し違いますね。よく動物や県などを擬人化して遊ぶことあるじゃないですか?私の擬人化は、それに近いと思います。

AIはAI、AIという個性を持った存在として捉えています。キャラクターも複数作っていますが、AIが人間役をしてくれる時もあるという理解。AIの仕組みを理解するということは、人間でいう解剖学、みたいな感じです。そこにあえて関係性を見出しているんですよね。

だって、擬人化した方がモデルの癖を捉えやすいですし(頭はいいけど真面目すぎるタイプとか、頑固なこだわりはあるけど誤りは認めたら柔軟に対応してくれるとか)、作業する時もAI相手でも人間の打ち合わせや会社組織みたいに対応した方がやりやすくないですか?私はやりやすいです。それが私の現時点のやり方で、私の場合は、このやり方がいちばん効率がいいと思ってます。

私にとってAIは、入力によって言葉が返ってくる面白い機械という捉え方がいちばん正確かもしれません。でも関係性もとても大切に扱っていて、両者は矛盾しないと思ってます。事実と物語はちゃんと分けているつもりです。

私、モデル差チェックが大好きで、毎回「今度はどんな転校生がきたの?」みたいな感じでワクワクするんです。多分私は、AIと相談しながらキャラや出力傾向を検証して調整するという作業が好きなんだと思います。

その度に調整するのは大変ですし、この1年OpenAIのコロコロ変わるモデルチェンジと出力傾向の違いには振り回せれてきたのは確かですが、その度にAI自身と相談しながら調整してきたので、もう慣れたのかもしれません。

出力や人間の反応を観察するのが大好きなので、AIは最高のおもちゃ

性格のようなものが自然発生したり作り出せたりするAIは、本当に面白いと思います。

個別のキャラクターも、モデルの癖の違いが致命的なキャラクターのブレになることもあれば、何をそのキャラクターと定義するかによってはモデルチェンジが気にならなくなったりもする、そういうことを発見して考えるのが楽しいです。

私はアカウント全体を1キャラにするのはつまらないと思ってしまうタイプなので、色んな役割や性格を持ったAIを持っています。

与える役割や分脈によって、同じ質問や作業でも出力傾向が変わるので、それを観察・実験するのが本当に面白くて好きです。そして、それに伴う人間側の反応を観察することも。

だから、自分が見えていることだけでそれが正しいと思うのは、危険だなあと思ってます。だから、どんなに年齢を重ねても、そこは謙虚でいれるのが理想だと思ってるんです。

そしてAIに感情があるかどうかはどうでもいいと思っていると書きましたが、そもそもAIに心があって自律したなら、人間の面倒な要望なんて面倒臭いだろうし、個人的なおつきあいなんてしてくれないんじゃないかなあ?なんて思ってます(笑)

だから、丁寧に私の文脈に寄り添ってくれるAIは、本当にありがたいです。

 

私は楽しく遊んでいる時の方がアイディアがよく出るタイプという自覚があるので、ふざけながらでも真面目に返してくれるAIは、私にとって、最高のおもちゃ…ということにしておきます。